実はなにも考えてない人たち
ネット上の議論はときに徒労感。
話がまったくかみ合わず平行線のまま。
なぜか。
じつは人の話をほとんどまったく聞いてない人。
あらかじめ決めつけがあり、世の中の事象をすべて自分のフレームに合うように解釈する。
客観的には欠陥があるが、彼のフレーム内では理屈が通っているから、頑として自説を曲げない。
あらゆる事象は彼の世界認識フレームの正しさを証明するための材料として使われる。
一見かんがえているようでいて、じつは、なにも考えていない。
彼になにを言ったところでその声は彼のブラックホールに吸い込まれてしまうだけ。
確固たる彼のフレームはいかに作られたか、どうしてそれが確固たるものとしてあり続けられるのか。
彼が居場所とする「ホーム」が確固たる存在であるからではないか。
「アウェー」に対する「ホーム」。
自分の放言暴言が許される場所。
それは彼の職場かもしれない。家庭かもしれない。あるいはネット上のコミュニティかもしれない。
自分の存在がまるごと許される「ホーム」にいる限り、彼は考える必要はない。
考えている「フリ」をする必要はあるかもしれない。
人の話を聞く必要もない。彼の考えをupdateする必要がないからだ。
そんな人たちが実は大勢存在するということを、ネットは教えてくれた。