January 2008
17 posts
ビジネスで語られだした浦和レッズ
いまの週刊東洋経済、スポーツビジネス特集を立ち読み。通り一遍の視点で語られる浦和レッズが悲しい。やれ経済効果がどーのと、そればっか。サポーターは消費者か。ま、そうだな。そうかもな。でも、サポーターから生産者の側面を取ったら、もう、だめだ。シェアウェアのように、支え支えられる構造。
これから、ここを、日記的ブログ(日本のいわゆるブログ)として使おうかと。 で。さっき見た光景。渋谷スクランブル交差点、歩道はまだ赤信号だっちゅうのに、平気で渡ってゆく外国人のおっさん2人。車の合間を縫って、あるいは車を止めて。うひゃー。
持ち家が日本をつぶす
…と、考えてみたりする。 ぼく自身は、家を買うつもりも、予定もない。その時々の自分に適した家に住めれば、それでいい。 住まいは、もっと流動化したほうがいい。長年暮らした我が家などと、こだわらないほうがいい。こだわりが、田舎をだめにする。
そういやTumblrって(単独でやってる限りは)コメントもトラバもないし、なんつーか延々と独り言を言ってるっぽいな。
こども社会に、おとなはなるべく関与しないべき。親がしゃしゃり出ると、問題解決能力が育たなくなるから。こどもの行く末を、生きる力を、奪ってはいけない。こどもの面倒を、一生見られるわけではないんだから。向こうの親がしゃしゃり出てきても、我が子から学ぶ機会を奪ってはいけない。深刻な危機のときにのみ、親の登場を絞るべき。子ども社会って、けっこう残酷で、ひどいことを言ったり言われたり、したりされたりするかもしれないけど。じっと我慢して、子どもの成長を見守らないと。
先祖代々未来永劫の幻想
先祖代々受け継いだこの土地を未来永劫守っていかなければという固着した幻想。 実家に帰ると、「あれこんなところに」続々と新築戸建て住宅。ここで子ども時代を過ごした身からすると、ありえねーところに。そして林は切られ、ホタルは姿を消し。 一等地は死守されてるから、新しく家を持ちたい者には、そんなトンデモな土地しか求められない。 そういうしているうちに、中心街はシャッター通りとなり、田舎は限界集落が増殖する。既得権がはびこっているところは、どんどん衰退していく。人がいなくなる。年寄りばかりになる。なぜか。 年寄りが手放さないから。若い者は郊外新興住宅地という、ていのいい「僻地」に追いやられている。 土地のリストラが必要。...
インターネットと「私刑」化する社会 インターネット-最新ニュース:IT-PLUS →
ガ島通信・藤代さんの文章。武田徹氏を酷評した彼のブログも私刑っぽかったが、自身の反省も含めてのことなら、評価できる。
インターネットは少数派のためのツールだ。空気を読めない者のためのツールだ。 多数派が世界を牛耳るためのツールじゃない。
子供時代はサバイバル。
子どものころ、ぼくは学校が楽しくなかった。 もとから集団行動になじめず、それを克服するのに、すごく時間と努力が必要だった。 大人になっても社会性に欠ける特性じたいは変わらず、それで不利益を被ったり、いやな気分になったりしたこともあったと思う。 いまフリーランスで仕事をしているのは、組織人になれなかった当然の帰結だと思っている。 いじめをなくすことは、生きる力を奪うことにならないか。 親が子どもの社会に介入することは、生きる力を奪うことにならないか。 子どものためと言いながら、ぼくらは、寄ってたかって、子どもの生きる力を奪っていないか。 目の前にあることばかりに執心して、未来をつぶしていないか。
金子さんのこの対談の中で、...
– J-CASTニュース : 「浦和レッズサポーター」の応援 有名スポーツライターが酷評 うん。ぼくも金子氏に同意。以前のレッズサポの応援は今みたいなのじゃなかった気がする。…いつから変わったんだろう。いまのレッズサポの応援は、ほんとうに応援になってるんだろうか。
エジソンの母を昨夜見た。なんというか、ちょっとブッ飛んでしまった。そしてうれしかった。 ここのところ、視聴者に「ねえ、それでいいの?」と問題提起をするような、そんな制作者の意図を感じさせるドラマが、増えてる気がする。...
マイはし、がブームのようだ。以前も、割り箸排斥運動?があり、尻つぼみに消えてしまったが、その過去はふまえられているのか、それともたんなる再来か。たしか当時の主導者は福島瑞穂、弁護士時代。 中防と日の出の最終処分場には、取材で行ったことがある。お菓子の袋がともかく多かったことを覚えている。お菓子を食べなきゃ、あるいは、お菓子を計り売りとかにすれば、ごみの量はすげー減るんじゃないだろうか。石油消費も減る。エネルギー消費も減る。CO2排出も減る。…たぶん。
茨城の暴走族 最近は静か - MSN産経ニュース →
…というかもう暴走族って時代じゃないような。
マス志向(有名ブロガー)はいたずらにサーバーリソースや転送量を消費するだけで効率悪いのではないか。また、一見PVが多いが実は狭い村の中だけでさほどの影響力を持たないのではないか。しかも移り気な消費者が旬のネタを消費しているだけなのではないか。
ミクシィの日記を見ると、「ま、爆笑問題の太田のオ〇ニープレイに皆飽きたんでしょうねwww」「まぁ~爆笑問題の実力なんてこんなものです」とシビアな意見が見られた。...
– J-CASTニュース : 爆笑司会番組が大惨敗 太田光「偉くなりすぎた」 民の本音を表現してるつもりなんだろうが。こういうのはやめてほしい。無責任な消費者の、言いっぱなしの声なんて。しかも抽出が恣意的。まず爆笑問題を叩くという結論があり、それにfitする声をかき集めて、あたかもこれらが民の意見の代表でもあるかのように。よく読めば「…意見が見られた」と、これは一部の意見であってと逃げ口上が打てるように書いてるのがなおさらいやらしい。
ブログは個人の考えとか表明するツールと一部で言われ理解されてるし、それはいいことだとか意味があるとかになってるけど、そうか? 脳内生産脳内消費、口ばっかの利発なだけの言論なんてただの時間つぶし以上の意味あるのか? 誰かのホンネトークなんて聞きたいか。「誰かがこんなことを言ってる」…「誰か」に意味がある(=有名人)以外、つまり市井の民のホンネトークなんて聞きたいのは誰だ。それをネタにしたい誰か、それを利用してカネを稼ぎたい誰か。...
非公開を前提とした言論は、どうしてもダルくなる。ユルくなる。非公開の気安さからか、放言というか、無責任な言いっぱなしが出てしまい、議論の質としては、低いほうに流れてしまう。 友人限定に設定したmixi日記とか。 となると、高い議論、時間つぶしでない有効な議論をするには、公開の場でないと。…ということになる。 それはそれで、共有の土台がない者同士のコミュニケーションが難しかったりと別の問題が発生するのだけど。でもやっぱ、そっちのが健全なんだろうなあと思う。 というわけで、できるだけ、意見とか議論とかは公開の場でやるようにしたい。