人間には感情があって植物には感情がない、虫にも感情がないとしたら、感情ってなんだろうか。生き物にとって感情はmustではないとすれば、ぼくらが日々感情に流されて生きている状態ってなんなのだろうか。また、感情がなければ手荒に扱ってもいいものだろうか。人間は感情があるから大事にして、植物や虫は感情がないから平気で踏みつぶしてもかまわないんだろうか。

音楽ってなんどろう、ラブソングってなんだろうと最近ぼんやり思う。

ぼくが子どもの頃、思春期や若者だった頃はラブソングに違和感を感じなかったけど、中年のオヤジになってみるとラブソング聴いてもピンとこないというか。

まあ、人間の感情を歌うのが歌だとすれば、いちばんエモーショナルなのが色恋だからラブソングというのはわかるんだけど、いっぽうで、安直すぎないかという気もして。

それから、これまでは音楽家とか彫刻家とか写真家とか、いろいろ分かれていたんだけど、こういう分類ってこれからも続くのかな。必要なのかな。とか思ったり。

テレビは「テレ・ビジョン」つまり遠くを見るメディア。いまでもテレビの本質はテレ・ビジョンだと思うけど、そのいっぽう、ネットもまた、テレ・ビジョンなメディアになっている。過去と現在がごちゃまぜになっている点はテレビと同じ。インターネットはテレビとは視点の違うメディアと思えばいいか。

道警は、少女らの説明から、少女との性行為はなかったと判断したが、鎌田警部が少女の胸を一度触ったことを認めたため、立件した。

家出少女泊めわいせつ行為 道警、函本警部を懲戒免職-北海道新聞[道内]

ええと。警部が「少女と出会い系サイトで知り合った」ことと、「家出少女泊め」たことは問題なくて、「少女の胸を一度触った」ことが「少女に対するわいせつ行為」として懲戒免職、それが「警察官にあるまじき行為で極めて遺憾」ということかな。

それでいいのかと素朴なギモン。

美人時計とか美少女図鑑とかって、なんだろうかと思うことがある。…いや、どうも説明しづらいんだけど。どう解釈したらいいのかこのブーム、日本の何らかの心象風景の変化なのかなと。

追記2009-10-14 22:04
ミスコン批判のときには容姿で優劣をつけるのは如何に、みたいな感じだったけど、そういうのはもう、ない。美人、美少女ってのが無批判で「Good!」となっている。しかも、カタログ的に(無機質に)扱われてもいるのに、それにたいしての批判的視点が見られない。

たぶんベース、“Tokyo graffiti”とかにも見られるような、「存在そのものを許容する」的な何かがある気がするんだけど。

自意識の膨張かな。そう単純に片付けていいものかな。

なんちゅーか、個人的には“美”人や“美”少女とか、“美”以外にもいろいろあっていいんじゃないかと思うのだが、コマーシャルベースには“美”は必須なのかなあ。

快適じゃなさそうにもほどがあります。

サマーランドでの人がゴミのようです:小鳥ピヨピヨ

こういう、オーバーかつ他人行儀な「神的」表現って、日本だけ?嫌いなんだ。

ブロガーイベントとかモニターキャンペーンとかで製品を試供されたにもかかわらず、あたかも自分で興味を持って手に入れたかのようなブログ書き込みが横行しすぎで。ネットはマスコミ批判をしてマスコミのあり方に疑問を持つ割に、ネットが持つ自由を当たり前のように思いすぎている奴が多い感じはします。

欲望ステーション

ひさしぶりに近所のコンビニに用もないのに行き、雑誌コーナーを俯瞰してたんだけど、なにこれ。欲望ギラギラ的な、これいつの時代かと思った。オンナと、クルマ。草食系なんて嘘ちゃうか。ぼくが歳をとっただけなんでしょうか?

不愉快な番組は、それを提供したスポンサーに責任がある。
…とはならず、番組制作側の責任となるのは理屈にあわない気がする。

“声高な人たち”というのは、研究テーマになるかな。重いか。