ホントを伝える線よりもデマを伝える線のほうがずっと太い。

ネットはホントを伝える線よりもデマを伝える線のほうがずっと太い。…残念ながらそう思っていたほうがよさそうだ。

推測1。保守的な社会・保守的な生活において、「実はこうだ」というホント情報を受け入れることは自らの拠り所となる生活や社会を否定し、その変化を促されることになりかねないために、なかなか広がらない。一方、デマは一瞬、人を活気づかせる。「えー、マジ!」から始まり、議論が活気づき、「結局デマでした」でホッとして話は終わる。時間を消費するネタとして有効であり、生活や社会もそのままで済む。

結局のところ、人は(※この保守性が日本特有であれば、日本人もしくは日本に暮らす人)何が起こっても、昨日と同じように考え、昨日と同じように過ごすことを最も望んでいるに違いない。

嘘臭さ。

嘘臭さについて考えている。

ぼくのいう嘘臭さというのは、たとえばファンモンのような嘘臭さだ。「僕を生んでくれてお母さんありがとう」というような嘘臭さだ。
(だいたい生まれてきたことを全肯定できるのでどういう感覚だよってぼくなんかは思うんだが)

キレイゴト、といってもいい。

なにかいま日本のなかで、誰もが反論しづらい、まっとうな正義(そこに嘘臭さを感じるんだが)を、恥ずかしくなるような率直さとまっすぐな瞳でもって朗らかに掲げる、ということが、流行し、またそれを良しとする風潮が、とりわけ若い世代にあるような気がする。

なんていうのかな、陰影のない自己表現とでもいうか。アニメって陰影のない二次元世界なんだけど、たとえばそんなふうな。自らをアニメキャラ的に単純化して見せているし、自分でもそう思いこませている的な、何か。

渋谷ハチ公前でフリーハグが流行った、あの頃から。

しばらく前から順々にひっかかってはいたけど、最近とみにはっきりしてきたので言いたい。

渋谷あたりを闊歩する若いビジネスマンのことだ。ヤンエグとかビジネスパーソンとか言えば今っぽいのかそれとも逆に古いのかよくわかんないけど。

彼らのあの恰好は何だ。

あの靴(なぜかやけにトンガってたり)。あのスーツ(チンピラ的だったり)。あの間抜けヅラ(あくまで主観である)。あのヘアスタイル(やけに自己主張してる。けっこう染めてる)。そしてあの喋り(たいてい2人以上でツルんでる)。

あれはいったい、仕事中の恰好なのか。

もしクライアントとかと会うんじゃなくあくまでマイオフィス内の作業ルックとすれば着飾りすぎだし、もしクライアントに会いに行くんであれば印象逆効果じゃないか的な着飾りぶりだし。

彼等はいったい何のためにあんな恰好して闊歩してるのか。

ふざけてるのか。ふざけていないとしたら、いったい何のために…?

ぼくはテレビ局で仕事をしている。お堅い放送局だとしても、当然娯楽番組なんかも部署によっては作っているわけで、したがって放送局の中というのは一般の人が思う以上にフリーダムな服装の世界である。んなわけで取材で人に会ったりしない限り、ぼくもけっこう適当な恰好でそのへんふらふらしてる。だから基本的には服装には全くうるさくない。そんな僕が、彼らのスタイルには強烈な違和感を感じるのは、それはなんでだろうか。

あんな恰好のやつらと僕は仕事したくない。

赤の他人にそう思わせる恰好をあえてする彼らの戦略がさっぱり理解できないし、彼らに給料を支払っている雇用主の気持ちもさっぱり理解できない。

僕なら彼らに一銭も払わない。

(いま渋谷をふらふら歩いてもらえれば、僕が↑のように感じて仕方のない人たちに、かなりの高確率で出会うことができる。これが僕だけの感じる違和感なのか、それともある程度の妥当性を持った違和感なのか、それも是非とも知りたいところである)

すげー安全な原発にしたらいいじゃん。稼動しても安全、電力需給も困らない。それ輸出したら「あの原発事故を教訓に技術立国日本が作り上げたすげー原発」ってことで売れるし、みんなハッピー。

絶対安全なんてない、っていうけどさ、じゃあ、たしか温暖化で騒いでたときだったかなあ、「温暖化には原発」的な流れがあって、世間的にはとくに反発なかったじゃん。ぼくは反発したけどさ。当時書いたもの、いまだにネットに載せてると思うよ、探せば。んで、なんだっけか、オール電化だとかさ、電力どんどん使いましょうみたいな、えーと夜間電力の有効活用だっけか、そんな話でさ、みんなじゃんじゃんオール電化にしたじゃん。ばんばんCM売ってさあ。あの流れはどうなっちゃったの。「いやあの時は知らなかったんだ」とは言わせねえぞ。

どうもいまの反原発の流れが気に食わん。言うならもっと早くから言えよ。いまさら言うなら、現実的なことを言えよ。後出しじゃんけんなんだから、それくらいの謙虚さを持とうぜ。

きれいごと言ってりゃオール免責、的な感じがとにかく気に食わん。

今のいわゆるミュージックシーンは最低だ。いわゆる作詞家先生作曲家先生全盛時代とおんなじ構造しかも単なるビジネス化とさらに劣化。

安物プレイ

安いと家計にありがたい。というけど、では、何がどれだけ安くなるとどう家計に反映するのかとかをきっちり計算している人がどれだけいるかは疑わしい。安いものを無駄買いしてしまえば結果的にコスト高となる場合もあるわけで、こうなると単なる安物プレイとしか思われない。

安いものを無駄買い・衝動買いしたおかげで結果的に出費は余計に増えるばかりか無駄なモノの維持管理に余計な時間と労力を費やし最後はただゴミを増やすだけに終わってしまったとしたら、それは安物に人生を浪費した上に反エコ的存在となってしまうという、

安物によって人生そのものが無駄な存在と化す

という事態は避けたい。

さらに安物によって命も落としてしまったとするならば、泣くに泣けないこととなる。

危険な安物プレイにハマらないようにしよう。

モバイル回線はイーモバイルを使っているのだけど、1月に機種変更したときの店員対応の説明に1つ間違いがあったことがさきほど判明。それがわかるまで、結局3回も電話してしまったし、まったく不要なオプション料金支払いが発生してしまった。んーと、店員の説明の間違いが出発点なんだけど、ぼくはその間違いに気づくことなく説明通りに思い込み、これまでずっと電話し続けてきたわけで、むしろ電話対応に不満がある。客の主張がおかしければ、詰めればいいんだ。適当な仕事をしやがって。

いっぽう、仕事でとある古書を注文した。ぼくはAmazonマーケットプレイスをあまり信用してないので、できるだけ「日本の古本屋」で注文している。本のコンディションに関する説明だとか、発送の確かさだとか、いい店の対応はとてもいい。今回の古本屋はとてもよかった。面倒くさがらずにいちいちメールをしてくれ、しかもずいぶん速攻で送ってもらった。こういう「きっちり仕事」派がぼくは大好きだ。

イオンの「放射能ゼロ」商法を僕は「やらしい」と思う。

スマホデビューしちゃったのとかなんとかうるさい。
日本のガラケーはよくできている。胸ポケットに入れっぱなしで負担ないし、早足で歩きながら片手で文字が打てる(←経路検索の図)、天気予報も列車運行も地図もgmailもtwitterも、出先で必要なことは小さな画面でひととおりできるし字も大きくて老眼気味にもやさしい(ウェブブラウジンブはちょっと苦手。
)。それに僕のG’zOne TYPE-Xは「電池長持ち、頼れる防水タフネス」、雨に濡れてもトイレに落としても大丈夫。
スマホに換える積極的な理由がない。
タブレットPC(Sony Tablet P)は使っている。仕事用のツールとしてはこっちのが正解だと思う。