エスカレーター式に人生を無風で過ごしてきた母親は自身が苦労を知らないから子どもに苦労なんてとんでもないんだけど、さてそうやって苦労を削除されて育てられた子どもは苦労するだろうなきっと。
1 month agoエスカレーター式に人生を無風で過ごしてきた母親は自身が苦労を知らないから子どもに苦労なんてとんでもないんだけど、さてそうやって苦労を削除されて育てられた子どもは苦労するだろうなきっと。
1 month ago放射線は原爆原発以外にも医療(X線)、食品(放射線照射で保存期間のばすだとか)、風呂(ラドン温泉だとか)など様々に利用されていて、かつ自然界にも普通に存在し天然線量の高い場所が世界各地に存在する。そこには人も住んでいる。
したがって、放射線被曝の人体への影響に関しては、これほど医学科学の発達した現代だから、ある程度は必要な知見がすでに人類に得られていると考えるのが自然だ。
ところが低線量被曝の影響についてはよくわかっていないのだという。
それは何故か。研究者の怠慢のせいか、それとも必要性が低いからなのか。
そのどちらかだろうと思うよきっと。
1 month ago放射線の低線量被ばくについては、現段階では学術的(科学的?)なコンセンサスは得られていないものの、どれだけ線量が低くても人体への影響は線量に比例して「ある」(=閾値なしモデル)、というように考えて差し支えないのではないかと思う。ただしその影響はあくまで線量に比例するため、少なくともそれ「以上」ではない、ということも言えると思う。
低線量被ばくをあなどってはいけない、という専門家の意見もあるようだ。そりゃそうだ。でも、いくら見えないからといって、やたらに怖がるのもアホらしい。
低線量被ばくの影響をやたらアピールする「専門家」について、その熱心さは何に由来するんだろうという疑問が常にあったのだけど、もしかして、まだコンセンサスの得られていない、データ的に今後どう結論づけられるか不明のこの問題について、うっかり「安全だ」などと現段階で口ばしってしまい、あとでそれが間違っていたとなったら大変だ、責任を問われかねない、つるしあげにあいかねない、などといったことを恐れ、自己保身のためにあえて「やばいぞー」と連呼してるんじゃないだろうなあ。と、少々うがった見方かもしれないがそういう仮説が頭をもたげてきた。
簡単にいえば、ビビリー、ということである。
で、ビビリーな専門家が「やばいぞー」と連呼することで、ビビリーな一般人もビビる、すなわち「ビビリのドミノ倒し」といった現象が起こっているのではないだろうか。みんな「子どもが心配」とか言ってるけど、それは、「わたしはこれまで専門家の言うことを鵜呑みにしてきた。わたしに判断はできない。いまここで大丈夫などとわたしが判断したことで、将来子どもに何かあったらどうするのか、わたしに責任取れって言われてもわたしは専門家じゃないしわからないから無理。将来わたしにそうした責任がふりかからないように、できるだけリスクの少ない選択をしておこう」ということで、ビビリーな行動をしているのではないか。
要するに責任取りたくないんだ。(これまで通り)無責任(のまま)でいたいんだ。
東浩紀は家族を連れて東京から逃げてたそうだ。へー、逃げてたんだ、と思った。いや別にそれはそれぞれの判断だからいいんだ。だけど、何が起こるかわからなかったからって言い訳してるけど、そうかな。ぼくは自分の住んでる埼玉に二度、放射線がやってきたのをほぼリアルタイムでデータウォッチしてた。一時退避することも念頭にあったけど、以後、大気中の放射線量は落ち着く傾向を見せていた。つまり新たな大量放出は起こらなかった。少なくともゴールデンウィーク頃までは、データとにらみ合っていただろうか。逃げるにしろ、ここにいるにしろ、合理的な選択をしたかった。結局、想定していた最悪の事態にはならなかった。ぼくは逃げなかった。子どもたちにも、ふだん通り過ごさせた。一家のあるじとして、責任をもって、認知、判断、決定をしたつもりでいる。家族の被ばくに関する全ての責任はぼくにある。根拠なきビビリーにはなりたくない。
※ごくまれに、放射線被ばくの感受性が強い体質の人がいるらしいから、それは気になるんだけど。
2 months ago桶川市議選があす投票だ。
桶川市議に対する期待は何もない。
ぶっちゃけ、誰が市議になっても、一切、何も変わらないだろうと思っている。
ぼくはもともと桶川市民ではない。埼玉県民ですらない。でも埼玉を選んで、桶川を選んで、ここに引っ越してきた。子どもたちにとっての地元はここ桶川だ。ぼくも桶川を気に入っている。
桶川は好きだが、桶川市役所の職員はだいたい嫌いだ。最初は好きでも嫌いでもなかったけど、いろいろな体験があって、嫌いになった。
市役所の職員、いっぺん全員クビにしたらどうだろう。全員クビにしたうえで、一部のまともな職員だけを再雇用する。あとは新規。あるいはアウトソーシング。図書館だって窓口業務とか外注してるが、外注になってからの対応のが良くなった。
市議だが、年間いくらかかってるんだろう。いてもいなくても実質困らないんだから、コストはできるだけ少ないほうがいい。そうだな、年間10万円ぐらいなら許す。議員枠2人なら1人5万。10人なら1人1万。ま、ボランティアですね。市政を変えたい、桶川を良くしたいなどという使命感で立ち上がっているんだったら、カネなんかいらないでしょ。
政治って金儲けが目的じゃないんだから、国政もオールボランティアでいいんじゃないか。…って僕は思うんだけどなあ。
どうしようかなあ投票。あいつには絶対入れないって人は決まってるんだけどなあ。
2 months agoいまmixiやtwitterやfacebookで色んな人たちが日記の晒しっこをしている。「つながる」感に対して喜びや昂奮があるかもしれない。でもそれは、ほんのいっときのこと。結局のところ、ほとんど何も生まない。時間つぶし以上の意味はとくにないことに、いずれ気がつくはずだ。
4 months agoほんとのことなんか誰も知りたいと思ってない。
みんな自分が見たいように世界を見てるし認識したいように世界を認識している。
それで世の中回ってるんだし、ほんとのことなんて別にいいんじゃね?的な。
過ぎたことなんか振り返ってもしょうがないと、過去の失敗を反省することもない。それでまた同じ失敗を繰り返しても、なんとも思わない。むしろそれが日常ルーティン化してる気配すら。
mixiとかtwitterなどの普及で、フツーの人々がふだんフツーに考えていること(=大衆の気分・空気、世論)が可視化されるようになってきた、ように思う。
多くの人は天下国家をまじめに考えているわけではない。日々つつがなく暮らせることが第一で、遠い世界の話はたんなるfeedにすぎない。ずいぶんと身勝手なこと、いいかげんなこと、無責任なことを思ったり口に出したりしている。
芸能人やテレビ番組の話題も同じく、たんなるfeedにすぎない。彼らの満足な日常の退屈を埋めるfeed。
ぼくらのあり方は意外と多種多様なこともわかる。メディアによって作り上げられたぼくら自身の姿は、多くの人にとってはフィットしていない。でも、悪い気はしないから、とくに否定もしない。
ぼくらは思ったより頭がからっぽで、貧しい暮らしをしているのではないかという気もする。プロダクトの品質が素晴らしいし、それが街にあふれているから惑わされてしまうけど。
と、さんざんなイメージダウンだけど、いっぽうで、そこらにいる、なにげない人たちが実は意外とすごい、ということを、ときどき目にしてハッとすることもある。“案外、捨てたもんじゃない”というレベルでは語れないような。
だから、ぼくらは思ったよりもダメダメ人間の集まりなんだけど、一方でスゴい何かも秘めているのだという、なんだかアンビバレントな印象になってしまう。
ぼくらの日常はテレビドラマやCMで描かれているような素敵なものではなく、いたって現実的に生活感あふれまくる中で暮らしている。個々にいろんな問題もあって、決してひと括りでまとめられるようなものではない。でも、個人消費者に向けてモノやサービスをセールスする手法はだいたい一定で、広告では“夢の暮らし”を描き、あたかも自分がそこにいるかのような同一感、錯覚を起こさせ、モノやサービスのイメージを底上げして財布から金を出させる。テーマパークも同じ。人は勘違いしたくて、よりゴージャスに勘違いさせてくれるモノやサービスにお金を出す。“お客様は神様”という誤った認識が“お客様”側にあることも同様。“お客様”は自分のイメージを底上げして捉えている、だからモンスターなお客様が生まれるのだろう。ぼくらは自分自身を底上げして認識するのが得意だし好きだ。思い上がりたいのだ。でもそのツケは誰が?
1 year ago“国の社会保障に対する信頼があるから少子化が進む。”と仮定すると?
1 year ago